Jリーグ

浦和はJリーグのお荷物だった? 当時の成績からそう呼ばれていた理由を紹介します

こんにちは、早起きラガードです。

Jリーグファン
Jリーグファン
浦和って昔、「Jリーグのお荷物」って呼ばれていたって聞いたけど、本当なのかな?

今回は、こんな疑問にお答えします。

なお、結論から言うとJリーグ草創期、浦和は確かにJリーグのお荷物と呼ばれていました。

Jリーグのお荷物

20年以上昔の話ですから、若い人は知らないかもしれませんね。

どうして「お荷物」と呼ばれるようになったのか?

これはもうご想像の通りで、単純に弱かったからです。

Jリーグが開幕した1993年と、1994年の浦和の成績は次の通り。

1993年

  • サントリーシリーズ 10位(最下位)
  • NICOSシリーズ 10位(最下位)

1994年

  • サントリーシリーズ 12位(最下位)
  • NICOSシリーズ 11位

※「サントリーシリーズ」「NICOSシリーズ」は、前期、後期のことです。草創期のJリーグは2ステージ制で、前期が「サントリーシリーズ」、後期が「NICOSシリーズ」と呼ばれていました。

「お荷物」と呼ばれていた理由は、この結果から明らかですね。

Jリーグ初年度の1993年は、サントリー、NICOSともに最下位。翌1994年もサントリーシリーズは最下位で、Jリーグ開幕から3期連続の最下位でした。

94年NICOSシリーズで初めて最下位脱出に成功しますが、それでも順位は下から2番目の11位。

年間順位に直すと、93、94年と2年連続最下位でした。降格制度のある現在では、ありえない成績です。1年目最下位の時点で、J2に降格していますからね。

しかし当時のJリーグにはまだ、降格制度がなかったため、この結果が成立していました。

本当に、「お荷物」と呼ばれても仕方がないくらい弱かった?

 

サッカーファン
サッカーファン
そりゃそうでしょ。3期連続最下位なんだから

 

確かにその通りではあるのですが…… でも、最下位にもいろいろありますよね?

例えば、一つ上の順位のクラブとの差です。

逆立ちしても届かないくらいの大差を付けられている場合と、得失点でしか差が付かないような僅差の場合とでは、同じ最下位でも随分意味が違ってくるでしょう。

1993、94年の浦和は、次のような状況でした。

1993年サントリーシリーズ
  • 9位 名古屋 7勝11敗 得失点差-17
  • 10位 浦和 3勝15敗 得失点差-23

18試合して、わずかに3勝の浦和。一つ上、9位の名古屋は、倍以上の7勝を挙げています。

※ちなみに草創期のJリーグでは「完全決着制」が採用されており、90分で決着が付かない場合は延長戦、それでも決着が付かない場合はPK戦まで行われていました。両チームの成績に「引き分け」がないのは、そのためです。

この成績だと、確かにお荷物と呼ばれても仕方がないかもしれません。何しろ、18試合してわずかに3勝しかしていませんからね。

ただ、ここまで大きく差を開けられての最下位は、実はこのときだけでした。

93年後期は、同じ最下位でも飛び抜けて悪い成績ではありません。

1993年NICOSシリーズ
  • 9位 市原 5勝13敗 得失点差-19
  • 10位 浦和 5勝13敗 得失点差-29

最下位であることに変わりはないものの、勝利数では、9位市原(現在の千葉ですね)と並んでいます(5勝)。

ちなみのこのときは、8位の名古屋も5勝13敗の成績でした。勝敗だけ見ると、8位相当です。

1994年のサントリーシリーズも同様です。

1994年サントリーシリーズ
  • 11位 平塚 7勝15敗 得失点差-27
  • 12位 浦和 6勝16敗 得失点差-17

1994年は2クラブ増えたので、最下位が12位になっていますが、11位との差はわずかに1勝。ここでも、ぶっちぎりの最下位ということはありません。

94年後期には、ついに最下位脱出に成功しています。

1994年NICOSシリーズ
  • 11位 浦和 8勝14敗 得失点差-18
  • 12位 名古屋 6勝16敗 得失点差-21

やっぱり「お荷物」だったのか?

3期連続最下位という点だけに注目すると、そう思われても仕方がないかもしれません。

ただ、細かく成績を見ていくと、1993年のサントリーシリーズ以外は、お荷物扱いされるような成績ではなかったのではなかったのではないか、と思います。

ただ、1993年はJリーグ開幕初年度でしたからね。

世間の注目も今とは比較にならないくらい大きかったですし、そのお披露目ともいうべき最初のシーズンで、他を寄せ付けない圧倒的な弱さを発揮してしまったのが、「お荷物」の印象を強くしてしまったのかな、と思います。

ちなみに、「お荷物」時代の浦和を象徴するエピソードの一つとしてしばしば語られる、「先制ゴールを喜んでいる間に同点ゴールを決められる事件」が発生したのも、1993年サントリーシリーズでの出来事でした。

YouTubeの、何とJリーグ公式チャンネルで、今でも見ることができます。

事件の記録映像はこちら

「Jリーグのお荷物」のその後

「お荷物」と呼ばれていたのはいつ頃まで?

浦和がお荷物扱いに甘んじなければならなかったのは、94年までです。

95年にオジェック監督が就任すると大きく成績が向上し、最下位が指定席、ということはなくなりました。

1995年

  • サントリーシリーズ 3位
  • NICOSシリーズ 8位

1996年 6位※

1997年

  • 1st 7位
  • 2nd 7位

※1996年は1シーズン制。

ただ、1999年に浦和がオリジナル10初の降格クラブとなったときには、「やっぱり浦和はお荷物だった」みたいなことを言われていたような記憶があります。

とっくに「お荷物」レベルの成績は脱していたのですが、それほど、最初の印象が強かったのでしょう。やっぱり第一印象が大事ですね。

まとめ:「お荷物」扱いは、最初の2年間だけ

  • 浦和がJリーグのお荷物と呼ばれていたのは本当
  • 93年の開幕から3期に渡って、最下位に甘んじたのが原因
  • 95年以降は成績が向上し、「お荷物」扱いはなくなった

浦和が「お荷物」扱いされていた頃からJリーグに参加しているクラブの中には、未だにJ1リーグで優勝したことのないクラブが複数存在しています。

一方の浦和は、2006年に初めてのJ1リーグ優勝を達成。

「お荷物」の方が先に結果を残してしまうのですから、わからないものですね。

今回は、以上です。